広島市西区の行者山・太光寺を中心に
集まられている「無村塾」会報誌
「知足」(ちそく)10月号の
「巻頭のご挨拶」の執筆依頼があった
ので、
「猿の道か?猫の道か?」と題して
寄稿させていただいた。
内容を読まれたい方は、
http://www.law-yamashita.com/985/#0146
同誌の紙面(字数)の関係で、この記事では
何故に、このような考えに至ったのかを記述
できなかった。
話せば長いことになるが・・・簡単に。
青春時代を反戦平和・学生運動に没頭
したぼくは、
元々、史的唯物論者・無神論者だった。
しかし、30代半ば運動を辞めてから
司法試験に挑戦、3年の短期合格。
弁護士となったのち、
40歳過ぎに離婚を経験。
不幸にも一人の女性を苦しめることに
なった自分を責めた。
人が自殺するときの気持ちが分かった
ような気がした
このときに、ちょうど
蓮如没後500周年に向けてであろう、
五木寛之著「蓮如」(岩波新書)が出版されて
おり、この本を皮切りに、
約10冊の宗教関係の本を読んだのである。
そして、親鸞の
「善人なをもて往生をとぐ、
いはんや悪人をや」
に出会ったのである。
善人でも往生をとげることができる
(仏により救われる)
のに、どうして悪人が救われないことが
あろうか。
いわゆる「悪人正機説」である。
「悪人」として自分を責めたぼくは、
この親鸞の言葉に救われたと
言っても過言ではない。
ちなみに、親鸞は浄土真宗であり、
他力本願だ。
このときにいろいろ考えたことが、
今日のぼくの宗教観を形成している。
参考までに、分かりやすくて、ためになった本
を2冊。いずれも、「ひろさちや」著
ひとつは「歎異抄の読み方」
もうひとつは「親鸞と道元」(自力か他力か)
悩まれている方は是非読まれることを
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