昨日22日は、おばあちゃんの25周忌が、
実家のある能美島のお寺(明慶寺)にて、
行われた。
おばあちゃんは、24年前、92歳で死亡した。
母と私の家族合計5人が(父はすでに他界した)
山下家を代表して・・・・というと大げさだが
執り行った。
広いお寺の空間で、線香の香につつまれながら
ご先祖様に思いをはせるのは、大変落ち着くものだ。
おばあちゃんの写真が実家の仏間に飾られていたので、
ケイタイのカメラで拝借
著作権やプライバシー権の問題は発生しないだろう
などと考えながら
さて、おばあちゃんには小さいころから
大変可愛がってもらった。
ぼくは子どものころ、よくお腹が痛くなったが、
おばあちゃんは、その度にやさしくお腹を
さすってくれた
なぜか、痛みがひいた記憶がある。
そのおばあちゃん、
ぼくが大学のため東京に行くことになった時
繰り返し、ぼくに言った。
「こうちゃん、東京はね、生き馬の目をぬくところじゃけぇ
気をつけんさいよ」
ぼくは、「だいじょうぶじゃけ」と笑い顔で答えた。
さて、ぼくは、
大学に入ると、高校時代からかかわり始めていた
学生運動に没頭することに。
おばあちゃんの言葉とは逆に、
ぼくが、国家権力という「生き馬の目」を抜こうと
戦うことになろうとは。
それとも、ぼくが「生き馬の目」を抜かれてしまい、
馬のように暴れまわってしまったのか?
いずれにしろ、東京(学生)時代は、
激動のときであった
このような状況だったから、
ぼくは、実家にはほとんど帰省せず、
おばあちゃんの死に目にも会えず
葬式にも出れなかった。
法事では、おばあちゃんへの
あらためての謝罪と感謝の気持ちを込めて
南無阿弥陀仏を唱えた。
さて、法事の後、
妻の勧めで、山にある山下家のお墓の掃除を行った。
夏のお墓参りとお墓の掃除は蚊との戦いだが、
梅雨前のこの度は、一か所咬まれた程度で、
無事生還できた
お墓掃除からの帰り道、
石垣に咲いているめずらしいお花を発見した。
小さい花びらが上に3つ。
長い大きな花びらが下に2つ。
人間が大の字に寝そべった感じの花だ。
調べたら、「大文字草」というらしい。
ほんと
☆弁護士ブログランキングにエントリーしました!
↓クリックお願いします!!(1日1回有効です)
にほんブログ村