シカゴ・ダラス報告は、一旦中断・・・
11月1日(日)、広島ペンクラブメンバー25名で行った
「しまなみ海道」日帰り研修旅行「ペンの旅」
のことを2回にわたって
午前は、大島(愛媛県)の村上水軍博物館。
学芸員の説明。本屋大賞の「村上海賊の娘」の展示も
この博物館にて、意外な事実を発見したのだ
瀬戸内海を初めとして、日本最強の海賊だった
村上海賊(村上水軍)の本拠地は、
愛媛県の大島とお城のあったすぐ隣の小島、能島だ。
ぼくの出身地である能美島からはかなり離れている。
だから、能美島は村上水軍とは無関係かと思っていた。
ところで、ぼくの実家の近所で昔から住んでいる約2,30世帯からは
東大の4、5世帯を始め、京大や阪大、早稲田大学などに進学
しており、田舎にしては多いな、
また、ぼくの叔父は戦時中に陸上選手としてオリンピックにも
出場している。他にも能美島出身のオリンピック選手。
何かあるのではと、昔から疑問に思っていた。
能美島は宮島(厳島)の対岸であり、
厳島合戦などの武将が住み着いたのでは、
そして、それは海賊ともいえる人たちかな、
そうした血が能美島住民には流れているのかなと、
思っていたのだ。
ただし、村上海賊(村上水軍)とは直接関係はないかなと。
ところが、今回の旅行で、能美島と村上海賊のつながり
を発見したのだ
同博物館の資料によると、
村上海賊は、能島、来島、因島の3つがあったが
その最大最強の部隊が
村上武吉率いる「能島村上」だった。
(本屋大賞をとった「村上海賊の娘」の父が武吉。)
その村上武吉一族関係者が、
豊臣秀吉が「海賊禁止令」を出したので、
1587年に、能美島と屋代島(周防大島)に移住したと
いうのだ (能美島はぼくの出身地)
村上氏は、当時この地域を統治していた河野氏の
家臣であり、両氏は深い親戚関係にあったようだ。
ここで、思い浮かんだのが、
ぼくの祖母は、家制度があった昔、山下家を継ぐために
河野家から養子をもらい婿にしたということ。
この河野家が上記河野氏と血のつながりがあると、
ぼくは能島村上(村上海賊)と血がつながっているかも。
能島村上の子孫は膨大にいるはずだが、
ぼくもその一人の可能性があるのかなと・・・
博物館の後は、その前の桟橋から出ている船に乗って
「潮流体験」。
正面が、能島。
島一周が1㎞弱の小さな島であり現在無人島
能島周辺は激流のこともあり、船にとっての難所だったようだ。
スリル感はすごい
長くなったが、もう一つロマンチックな空想を。
ぼくは弁護士として、会社の倒産手続きを相当数手がけてきたが、
そいうえば、十数年前に、
この村上水軍の本拠地である大島(愛媛県)の会社の整理を行いに、
自家用車で何回か来たことがあったなと。
ぼくが手掛けた会社の倒産手続きで島の案件はこれ一つ。
しかも、広島からは車で2時間もかかる遠くの島のこと、
何か、村上水軍(の霊)がぼくに助けを求めてきたのかなと、
空想まで膨らんでしまった
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