本日(6月8日)早朝、古川聡さんが、日本人3人目として
国際宇宙ステーションに出発した。
すばらしい[exclamation]

これは国際的な宇宙開発事業の一つだが、
日本は、昨年(2010年)6月13日、小惑星「イトカワ」から
岩石質の微粒子の回収に成功している。
このときの小惑星探査機が「やはぶさ」である。

先日(3日)、社団法人内外情勢調査会広島支部の
月例懇談会において、的川泰宣先生
(宇宙航空研究開発機構、名誉教授・技術参与)が、
「はやぶさの軌跡ーいま日本で生きること」と題して
講演された。

内容がすばらしいばかりか、楽しく感動的であり、
90分はあっという間に過ぎた。
久々に感動的な講演を聴いた気がする[ひらめき]
ちなみに、的川先生は広島県呉市出身。広島の誇りだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E5%B7%9D%E6%B3%B0%E5%AE%A3

正確に講演を再現することは不可能だが、いくつか
記憶に残った点を(聞き間違いがあるかも知れないので
勘弁を)

①「はやぶさ」がイトカワに出会った時の、
地球からイトカワまでの距離は、地球から太陽までの
距離の約2倍。
②イトカワは、長い距離で540mくらいの小さな小惑星であり、
地球からそれに着陸させることは、日本からサンパウロの
原っぱにいるてんとう虫を狙うようなものだ。
③故障の修理をめぐり、担当者間で激しい論争もあったが、
良い案が見つかると、全員一致・団結した。
「高レベルでのミッションの共有」の成果だ。
④はやぶさは、エンジンが次々故障し、また通信が
途絶えて行方不明となったときもあった。
文科省からは何度も「もうやめたら」と言われたが、
担当者らはあきらめなかった。
⑤その行方不明のとき、研究室のポットは、
一時空になったり、スイッチが入っておらず水のまま
だったりしたときがあったが、それ以降、プロジェクトマネージャー
の川口さん自らが、1日2回お湯をかえるようになった。
自分は諦めていない、皆がんばれよ
という暗黙のメッセージだったと思う。
(マネージングの勝利だ)
⑥2005年12月8日以来、通信途絶していた(行方不明)
が、十数万回の呼びかけの末、2006年1月23日、
ついに、はやぶさに便りが届いた。
⑦しかし、その後、エンジンが4基すべて故障した。
そのときには、今まで頑張り続けていたプロジェクトマネージャーも
「絶望の記者会見」をした。
⑧だが、奇跡は起こった。
20年以上もイオンエンジンを研究してきたメンバーが
ひそかに設計図とは異なる工夫をしていたことが判明。
本来は4基のエンジンは連動できないはずだったが、
別々のエンジンの一部正常部分を連動させる
ことにより、エンジンを奇跡的に回復させることに成功した。
研究製作現場が、打ち上げ直前に、エンジニアとしての
自らの職をかけて「ルール違反で」一部改造していたことが、
「奇跡のマジック」を生んだのだ。
⑨はやぶさは、2003年5月9日打上げから約7年後の
2010年6月13日、地球(オーストラリア)に生還した。
⑩自分(的川先生)は、糸川英夫先生の弟子だが、同先生
が言っていた言葉「逆境は私たちを結びつける」のとおりと
なった。(小惑星「イトカワ」は同先生の名前から命名された)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E5%A4%AB
⑪最後に、的川先生は、金子みすずの詩「大漁」と
「わたしと小鳥とすずと」を引用された。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/5778/
「科学と世界を育てる心の基礎」の必要性を説かれた。

この「はやぶさの勝利」は、科学の成功が、
人間的な精神の営みの勝利によりもたらされていることを
実感させるものだ[グッド(上向き矢印)]
このドラマは、10月には映画「はやぶさ」として公開される
という。楽しみだ[ひらめき]
最後に、的川先生とのツーショット写真[わーい(嬉しい顔)]
PAP_0000.JPG

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