昨日(1月15日),能美島の実家に寄ったところ,母が,
朝日新聞の「天声人語」(2011年1月7日付け)の切り抜き
と1枚の写真をぼくに渡した
母曰く
「天声人語に良寛さんのことが書いてある。あなたは
保育園のときに,(発表会で)良寛さんをやったことがある
ことを思い出したので,写真を(写真帳から)取り出して
おいた。これよ。記事を読んでみなさい」
その写真はこれ。
ぼくが小学校1年生に入学する直前の3月に撮影と
あった(6歳)。
時代を感じさせる白黒写真だ
父が町役場で広報担当だったこともあり,写真となじみが
深く,当時の写真も結構残っている。
この写真のことは記憶にあるが,保育園のときの良寛さん
役でどのような内容の劇をやったのかは,まったく記憶に
ない
さて,その「天声人語」の内容。
幸福感と収入の関係について,
・米国での調査によれば,幸せを感じる度合いは,
(米国では)年収620万円ほどで頭打ちになる
・プリンストン大のカーネマン名誉教授(ノーベル経済学賞
の受賞者)らは45万人の電話調査をしたが,同氏は
「高い年収で満足は買えるが,幸せは買えない」
と結論づけた。
筆者は,幸せ者とは,小さな喜びを十分に味わえる人だと
述べて,その達人として,記事の前日に180年の命日を
迎えた越後の和尚,良寛さんを挙げたのだ。
欲を持たず,子どもと遊ぶことが大好きだった良寛さん。
「清福」と呼ぶにふさわしい和尚の一句
「この里に手鞠(てまり)つきつつ子供らと遊ぶ春日は
暮れずともよし」
騒々しかったり,急かされたり,疲れた時代ほど,
良寛ファンは増えるという。
ここからは私見になる。
収入と幸福が連動していないことはそのとおりと思うが,
頭打ちの金額というものがあるかどうかは疑問だ。
これは,やはり人それぞれ,その人の価値感や思想、
それを形成してきた過去の経験や境遇如何
という気がする。
ぼくは20代の学生運動に打ち込んでいた時期には,
収入と言えば、支持者からのわずかなカンパのみ、
財産と言えば,ミカン箱2箱程度であったが,
当時としては充分やり甲斐なり,幸福感を感じていた
現在の日本はすっかりアメリカナイズされ,良寛さん
のような良き日本の心は,どこかに行ってしまっている
競争を基本原理とする資本主義社会にあっては,その
ような状況はやむを得ないことだと思う。
しかし,そのような時代だからこそ,
本来の人間としての自分を取り戻し,
幸福を願うなら,良寛さんの心を今一度,思い起こすこと
が必要だと思う
良寛さんについて、伝えられているお話をひとつ。
夕暮れ時、良寛さんは、子どもたちとかくれんぼをした。
良寛さんは、田んぼに隠れた。
子どもたちは良寛さんを探したが見つからない。
あきらめて、皆家に帰ってしまった。
あくる日の朝、農夫が田んぼに行って、良寛さんを見て、
何をしているかと問いただした。
すると、良寛さんは、「静かに。大声を出すと、
子どもたちに見つかってしまうではないか。」と言ったという。
疲れたときには,良寛さんを思い出そう
幼少の頃に良寛さん(役)だった自分を思い出させて
もらった母に,感謝
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